がまらぼろぐ

がま口好きが自己満足と不満をつぶやくブログです

母が亡くなり気持ちの整理がつかない

今日は暗めの話です。 

 

昨年の11月から入院していた実母が年末に亡くなりました。

70歳手前で、9月まで介護職の仕事もしていました。

でも、夏くらいから休みがちになり、時々我が家に来ては、横になっていることも多くなりました。

食欲もないようで、10月に会った時にかなりげっそりした顔つきに私は驚き、すぐに病院に連れて行きました。

総合病院で何度もレントゲンととったり、血液検査をしました。

 

結果、肺がんでした。

ステージ4でした。

脳の中心や骨にまで転移していました。

 

入院し、抗がん剤治療したけれど、一度も退院することはなく、最後は緩和ケア病棟に移り、クリスマスの晩に亡くなりました。

 

もともと若いころから、気管支が弱く、いつも痰がからむような咳をしていました。

なので、余計に気づいてあげられなかった。

いらいらしていたのも具合のせいだったのだろうな。

 

入院中、介護保険申請もして、退院に備えたつもりでした。

同居するしかないと、母のアパートも引き払いました。

 

入院中、最初のころは元気もあり、話もできていたけれど、どんどん記憶がでてこなくなりました。

 

あれこれ持ってきてほしいといわれるのだけれど、その場所がわからない。

銀行の暗証番号もあと数日聞くのが遅れたら手遅れでした。

 

字も書けなくなりました。どうしても病院・役所・保険の書類で直筆が必要なことがありましたが、その字はとても震えていて、形になりませんでした。

 

治療中は体調も不安定でした。

最初の抗がん剤が効き始めたころは本当に気分もよさそうでした。

でも 副作用の下痢がひどく、つづけることができなくなりました。

次に弱めの抗がん剤に切り替えましたが、抑うつ状態になり、抗がん剤が飲めなくなりました。(※母はすでに体力がなく、点滴の抗がん剤を受けることができませんでした)

入院後半は食事もとれず、点滴のみで栄養を確保していました。

 

私は一人っ子なので、葬儀やら先日の四十九日法要まで取り仕切らないといけませんでした。

なんとかやりとげました。

 

だけど、

 

次女が小学校入学するけれど、その姿を間近で見てもらえなかった。

 

困ったときに、相談する人がいなくなってしまった。

 

地震や台風があると、すぐに我が家に来たがるさみしがり屋でした。

 

 

 

あっという間の5か月でした。

 

子育ての合間、一人になってしまう瞬間は涙もろくなってしまいます。

 

 今は、時々思い出しては、後悔の日々です。